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2010年12月31日 (金)

野沢那智さんのこと(1)


あっという間に大晦日ですね。早い早い。

以前ちょっとだけレミコンの記事に忍ばせましたが、10月30日、台風とともに野沢那智さんが逝ってしまいました。
最近はあまり生でお姿を見る機会もなく、08年7月の「LOVE LETTERS」が、生で見た最後の姿になってしまいました。

正直なところ訃報が信じられず、あの日以来雲の上にいるような変な気分のまま日々を過ごしておりました。幸い、同じ狢の仲間とこの暮れに集い、泣いて笑って思い出語って慰めあって…おかげで少し落ち着いたかもしれません。
というわけで2ヶ月経った今、こうしてちょっと何か書こうとしています。
(カミングアウトに近い内容なので、内野さんなどの検索で来てくれる方には申し訳ございません。無視してね。)


私が野沢さんに傾倒するようになったきっかけは、はっきりどれと覚えていないのですが、おそらくTBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」の金曜日。
当時中学生だった私は、深夜放送にのめり込み、オールナイトニッポンやらセイヤングやらパックやら、毎日のようにいろんなパーソナリティの放送を聴いておりました。もちろん、お布団の中で親に見つからないようにです。その中でも特に金曜パック(野沢那智・白石冬美)がお気に入りで、つたない文章力ではがきや手紙を出したりしていました。私の同級生などはすでにセイヤング辺りで毎週手紙を読まれてスター(笑)になっていましたが、私は一度も読まれたことはありません。メールや携帯など存在しない時代。あの頃は皆受験勉強などそっちのけで、深夜ラジオを聴きながら、便箋に必死に手紙をしたためておったのですよ。きれいなガラスのつけペンとインク壷なんか買い込んで書いたな~。

ご存知無い方がほとんどかと思いますが、野沢那智・白石冬美担当の金曜パック(通称金パ)は、リスナーからの手紙を野沢さんがひたすら読み、そこにチャコさん(白石さん)が合いの手を入れる…手紙数通と音楽がたまにかかるくらいで構成という、当時のラジオ番組ではあまり無い形式でした。ただ手紙を読むといっても、野沢さんが読むとまるで魔法のようにその内容は面白く活き活きと蘇り、日常的な内容であったとしても実に味のある世界を作る方でした。内容によっては女性的な、はたまた怪談などは低く恐ろしく、中学生だった私を一喜一憂させ楽しませてくれたのです。私が聴き始めたとき、すでに金パは昭和42年の開始から13年目にもなっていて、すでに長く続く番組の伝説的存在でした。

こうして当時の野沢さんは、ラジオで人気パーソナリティであると同時に、声優としてアラン・ドロンやさまざまなアニメに出演されていました。もちろんあの素敵な声には真っ先に惚れました。あの品のある端整な声と幅のある巧みな演技で、私のハートをすでに鷲掴み状態です。そして何よりラジオを聴いていると時々氏の発する「薔薇座」という名称(笑)。これが異常に気になりました。

ということである日とうとうチケットを予約して、野沢さん主催の劇団薔薇座アトリエ公演に足を運びました。ええ、いましたともボスが目の前に。当時渋谷初台にあった稽古場兼アトリエはとても小さいビルで、おしゃれな螺旋階段が目印でした。その小さいビルの中のアトリエですから、もう本当に目の前にあのお声の持ち主が…(笑)。しかも、そのお姿のなんと艶かしく美しいことよ!(ここは個人的趣向の話です)私中学生ですから、大人に憧れてたんですねきっと。今でもあの日のことを鮮明に思い出すけど本当に素敵でした。

つまり、野沢さんにとって一番大事だったものは「演劇」で、その演劇に取り組み、今まさに自身が演出している舞台の当日だったのですから、どんなに疲れていようと体調が悪かろうと、一番輝いていた瞬間を見てしまったのだと思います。
その日から、私は野沢さんの存在そのものと、野沢さんの生み出すさまざまな世界観に夢中になってしまいました。

恥ずかしいけどたぶん続くでしょう(笑)

それでは皆様、良いお年をお迎えくださいませ!

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